今日は、終活の話。
・・・終活ではないか、”死別の哀しみ”の話です。
9月に母の命日があったのでいろんなことをツラツラ思い出していました。
取り留めない内容になってしまうと思いますが。
5年前、母が亡くなった時、私と子供たちは、妹の子供達と一緒に死後一週間を実家の岡山で過ごし、初七日を終えて北海道に戻りました。
正直、記憶があいまいでよく覚えていません。なんか、地に足が着いていない感じ。
葬儀
お香典リスト作成
高額お香典をもらった方へのお返し準備
父とお仏壇屋さんへ行ったり
母の部屋を片付けたり
年少から小学1年生までの子供達が4人いたので、昼間は公園やショッピングモールへ連れ出し、もろもろ作業は夜中に。
いろんな人が家に出たり入ったり、いろんなところに電話かけたり、ウチの下の子が熱出したり、そうだ、車もぶつけた。
なんか、大変だったな。
哀しいのに、
哀しんでいる暇がない。
北海道に帰って来てからも、今まで通りの毎日が始まって、
上の子を小学校に送り出して
下の子を保育園に送って
仕事行って、
ご飯作って家事してバタバタ。
母とは、もう何年も遠く離れて住んでいたから、いなくなってしまった実感がなくて死んじゃった事実だけ。
でも、ただただ哀しすぎてどうしたら良いか分かりませんでした。
上手く酸素が吸えなくて、二酸化炭素のかわりに”哀しみ”って分子を吐き出しているんじゃないか、
金魚みたいにパクパクしながら息をしていた気がします。
母に電話かけたら普通に出るんじゃないか、なんて思ったりしながら。
一人になった瞬間に涙が出て、拭いて、
出勤途中の車の中とか、
家族が起きる前に料理してる時とか、
トイレに入って下を向いた時とか、
涙が出て、拭いて、また涙出て、を毎日毎日。
みんな、そうなんだよね。
そうやって、時間が解決してくれるはずなんだよね。
きっと。
母が亡くなって、半年後くらいだったか、どうにもこうにも、ほんと、この哀しみをどうして良いか分からなくなってしまって、私は、ネットで探したカウンセラーさんに会いに行きました。
そして、カウンセリング2時間、思いっきり泣きました。
冗談抜きに、ハンカチがしぼれたほど。
その後から、不思議なことに母のことで毎日は泣かなくなりました。
あの時が哀しみの底だったのかもしれない。
哀しみって、時間と自分の気力だけで乗り越えていかなくちゃって思いがちですが、誰か専門家に頼っても良いんだと思いました。話を聴いてもらうだけでも。
あの時、思いっきり泣けて良かった。
じゃ、父は?
母のいた日常から、母だけがいなくなってしまった実家で一人暮らしになった父は
ちゃんと泣いたんだろうか。
男の人って、人前で涙出しづらいよね。もっと父と一緒に泣けば良かったのかな。
次回、「母の遺書を探す」に続きます。
過去の記事はこちら。「母が死んじゃった」
Comments